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京都地方裁判所 昭和63年(ワ)2136号 判決 1992年3月27日

原告(反訴被告)

諾浦真二

被告

豊田哲也

被告(反訴原告)

豊田一也

主文

一  被告らは各自、原告に対し、一五八九万五五〇〇円及びこれに対する昭和五九年八月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の本訴請求をいずれも棄却する。

三  被告一也の反訴請求を棄却する。

四  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、これを一一分し、その一〇を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。

五  この判決は右第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(本訴)

一  請求の趣旨

1 被告らは、連帯して、原告に対し、金一億一一四三万八二四九円及びこれに対する昭和五九年八月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告ら)

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

(反訴)

一  請求の趣旨

1 原告は、被告一也に対し、金九〇八万三七一〇円及びこれに対する昭和五九年八月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 第1項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告一也の反訴請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告一也の負担とする。

第二当事者の主張

(本訴)

一  請求原因

1 交通事故の発生(以下この交通事故を「本件事故」という。)

(一) 日時 昭和五九年八月二六日午前六時一五分ころ

(二) 場所 京都府宇治市宇治金井戸一五番地先府道大津南郷宇治線(以下「本件道路」という。)路上

(三) 態様 本件道路を南から北へ走行していた原告運転の自動二輪車(車両番号京め四八九三号、以下「原告車」という。)と、右道路を北から南へ走行していた被告一也運転の原動機付自転車(車両番号宇治市い六六一五号、以下「被告車」という。)が衝突した。

2 責任原因

(1) 被告一也は、当初、本件道路(追越しのための右側部分はみ出し通行禁止の規制がなされていた。)の南行車線のセンターラインから約〇・六メートル離れた付近を走行していたが、その進路前方が左に緩くカーブしていた上、一〇〇分の四の上り勾配になつており前方の見通しが悪い状況であつたから、前方を注視して対向車両の動向に注意するのはもちろん、ハンドル・ブレーキを適切に操作してセンターラインを越えないように走行すべき注意義務があつたにもかかわらず、前記カーブに差しかかつた際、対向車両の動向を確認しないまま、漫然、運転を容易にしようと右にハンドルを大きく切つた過失により被告車を北行車線内に進入させ、その結果本件事故を惹起させたものである。したがつて、被告一也は、本件事故による損害につき民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負う。

(二) 被告哲也は、本件事故当時、被告車を所有し、その子である被告一也に被告車を運転させていたのであるから、その運行供用者として、本件事故による損害につき自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づく損害賠償責任を負う。

仮に、被告哲也が被告車の所有者でなかつたとしても、被告一也は本件事故当時一八歳の未成年者で、被告哲也と同居し、ほぼ全面的にその扶養を受けており、しかも、被告車の保管場所は被告哲也所有の住居内であり、いわゆる任意保険については被告哲也が加入し、その保険料を負担していたのであるから、被告哲也は、被告車の運行を事実上支配管理することができ、社会通念上被告車の運行が社会に害悪をもたらさないようこれを管理監督すべき立場にあつたというべきである。したがつて、被告哲也は、被告車につき運行供用者責任を免れない。

3 原告の傷害、治療経過及び後遺障害

(一) 原告は、本件事故により、頸椎捻挫、左腕神経叢損傷、頭部外傷Ⅱ型並びに右前腕、左大腿及び下腿打撲擦過傷等の傷害を負つた。

(二) 原告は、右傷害の治療のため左記のとおり入・通院をした。

(1) 入院

<1> 医療法人仁心会宇治川病院(以下「宇治川病院」という。)に、昭和五九年八月二六日から同年九月一日までの七日間

<2> 滋賀県立成人病センターに、

昭和五九年一二月一三日から昭和六〇年三月一六日までの九四日間

昭和六一年二月一七日から同年三月二六日までの三八日間

昭和六一年六月二日から同年一〇月四日までの一二五日間

(2) 通院

昭和五九年一二月七日から昭和六一年一二月三一日までの間に、滋賀県立成人病センターに実日数一九日

(三) 原告は、右治療にかかわらず、昭和六一年一二月三一日、腕神経叢損傷(第五ないし第七頸神経に係る筋前損傷《根引き抜き損傷》)による左肩機能の用廃(左肩関節の可動域は屈曲三〇度、伸展二〇度、内転二〇度、外旋不能であり、筋力は三以下《徒手筋力テストの結果による。筋力の程度を五から〇までの六段階で表示し、五が正常である。以下の筋力の表示についても同様である。》しかない。)、左肘機能の著しい障害(左肘関節の可動域は屈曲一二〇度、伸展マイナス三〇度、回内八〇度、回外位マイナス二〇度であり、筋力は三である。一キログラムの物を持ち上げることができず、左前腕は回外不能である。)及び上肢全体の知覚障害(触覚、痛覚、温覚等が全くない。)並びに首の瘢痕等を後遺障害として残して症状が固定した。右後遺障害は、少なくとも自賠法施行令二条別表第五級六号(以下「第五級六号」といい、同表の後遺障害等級を表示するについては、以下同様の例による。)に該当する。

4 原告の損害 一億一一四三万八二四九円

(一) 入院雑費 三〇万一四〇〇円

原告は、二七四日間の入院中、少なくとも一日当たり一一〇〇円、合計三〇万一四〇〇円を雑費として支出した。

(二) 通院交通費 三万〇四〇〇円

原告は、滋賀県立成人病センターへの一九日間の通院につき、一日当たり一六〇〇円、合計三万〇四〇〇円を下らない交通費を支出した。

(三) 休業損害 一七四万八〇〇〇円

原告は、本件事故当時高校三年生で、新聞配達のアルバイトをしており、本件事故の一年前から事故の時までに毎月三万八〇〇〇円を下らないアルバイト収入をあげていたが、本件事故による前記受傷のため、昭和五九年八月二六日から昭和六三年六月三〇日までの約三年一〇か月にわたつて休業を余儀なくされた。したがつて、その休業損害は、次の計算式のとおり一七四万八〇〇〇円となる。

38,000×46=1,748,000

(四) 傷害による慰謝料 二一一万七〇〇〇円

(五) 後遺障害による逸失利益 九六五五万二四四九円

原告(昭和四一年四月一四日生)は、昭和六〇年四月に同志社大学工学部に入学したが、長期にわたる入院治療及び左腕の障害等による勉学への影響から卒業が遅れ、平成三年三月にようやく同大学を卒業することができたが、前記後遺障害により、将来にわたりその労働能力の七九パーセントを喪失した。

しかしながら、原告は、本件事故に遭わなければ、平成元年三月には同大学を卒業し、翌月には就職して二二歳から六七歳までの四五年間就労でき、この間大学卒業の男子労働者の平均収入に見合う収入を得ることができたはずであつた。したがつて、賃金センサス昭和六一年第一巻第一表産業計・企業規模計・旧制大学・新制大学卒業の男子労働者の全年齢平均年収額五二六万一〇〇〇円を基礎とし、新ホフマン方式により年五分の割合で中間利息を控除して、後遺障害による逸失利益の本件事故当時の現在価額を求めると、次の計算式のとおり九六五五万二四四九円となる。

5,261,000×0.79×23.231=96,552,449

(六) 後遺障害による慰謝料 一〇六一万円

(七) 車両関係の損害等 二九万九〇〇〇円

原告と被告らは、昭和六〇年八月二六日、車両関係の損害に関し、一旦原告及び被告一也の過失割合をそれぞれ五〇パーセントとすることを前提として示談を行つた。しかし、その後の捜査の進展により、被告一也の一方的過失で本件事故が発生したことが明らかとなつたから、右示談は錯誤に基づくものであつて、無効である。

そうすると、原告は、

(1) 原告車の損害三五万八〇〇〇円のうち、既払金一七万九〇〇〇円を除く一七万九〇〇〇円の支払を本件事故による損害賠償として、

(2) 被告車の損害二四万円のうち原告が自己に過失があるものと誤信して被告らに支払つた一二万円につき、不当利得としてその返還を

それぞれ求め得ることになる。

(八) 損害の填補 五二二万円

原告は、本件事故による損害の填補として自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)から五二二万円の支払を受けた。

(九) 弁護士費用 五〇〇万円

原告は本訴の提起、追行を原告訴訟代理人に委任し、その報酬として請求金額の一割を下らない金額を支払うことを約した。損益相殺後の損害額は一億〇六四三万八二四九円であるから、弁護士費用は五〇〇万円を下らない。

よつて、原告は、被告ら各自に対し、本件事故につき、被告一也については人身損害及び物的損害を民法七〇九条(後者の一部については不当利得返還請求権)に基づき、また、被告哲也については人身損害を自賠法三条に基づき、本件事故による損害賠償として、一億一一四三万八二四九円及びこれに対する右事故の日である昭和五九年八月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を連帯して支払うことを求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1 請求原因1(交通事故の発生)の事実は認める。

2 同2(責任原因)の事実は否認する。本件事故の状況は、抗弁1のとおりであり、被告一也に過失はない。また、被告哲也は、被告車の所有者ではないし、その使用をしたこともない。

3 同3(原告の傷害、治療経過及び後遺障害)の事実のうち、(一)(傷害)及び(二)(治療経過)は知らず、(三)(後遺障害)は争う。原告は、本件事故後、自動車運転普通免許を取得するなどしているから、左上肢の後遺障害の程度は原告主張のそれより軽度であつて、現に自賠責保険においても、左肩関節につき第一〇級一〇号、左肘関節につき第一二級六号の併合第九級に認定されているにとどまる。

4 同4(原告の損害)の事実のうち、(八)(損害の填補)は認め、その余は争う。

三  被告らの抗弁

1 免責・過失相殺

原告は、原告車を運転して本件道路を北進中、本件事故現場に差しかかる直前の右カーブを曲るに際し、いわゆるアウト・イン・アウト走法で走行しようとして、北行車線からセンターラインを越えて対向の南行車線内に原告車を進出させたところ、折から被告車をセンターラインのやや東側の南行車線を走行させていた被告一也は、原告車の南行車線への進入を見て驚き、咄嗟に右に転把して原告車との衝突を避けようとしたが、他方、原告も被告車を発見して衝突を避けようと左に転把したため、両車がセンターライン付近で接触した。すなわち、もともと原告がセンターラインを越えて原告車を走行させたという原告の一方的過失により本件事故が発生したもので、被告一也に過失はない。また、被告車に構造上の欠陥や機能の障害はなかつた。

2 消滅時効

(一) 原告の被告哲也に対する本件事故による損害賠償請求権は、仮にこれが発生したとしても、本件事故の日の翌日である昭和五九年八月二七日から起算して三年を経過した時点で時効によつて消滅した。被告哲也は、右時効を援用する。

(二) 原告は平成二年四月三日、被告らに対する請求を、本訴が提起された当初の請求(被告らに対し、金五五〇〇万円及びこれに対する昭和五九年八月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求めるもの。)から本訴請求の趣旨1記載のように拡張した。そうすると、右拡張された部分の損害賠償請求権は、本件事故発生の日の翌日である昭和五九年八月二七日から(仮に、症状固定時から時効が進行するとの見解を採つたとしても、右固定の日の翌日とされる昭和六二年一月一日から)起算して三年を経過した時点で時効によつて消滅した。被告らは、右時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁1(免責・過失相殺)の事実は否認する。

2 同2(消滅時効)の事実は争う。交通事故による損害賠償請求権の消滅時効の起算点である損害を知りたる時とは、事故発生当初に予見できなかつた後遺障害が発生するなどした場合においては、その治療を受けることがなくなるなど、被害者が自己の受けた損害の内容を明確に知つた時を指すものというべきである。本件において、原告は、左腕神経叢損傷につき神経及び筋力の回復の可能性を追及して昭和六三年三月二六日まで四条大宮病院で診察治療を受けたが、未だ腕神経叢損傷の治療法が確立されたとはいえず、なおその損害の内容を明確に知るに至つていないものである。したがつて、本件事故による原告の損害賠償請求権については、未だ消滅時効は進行していないというべきである。

また、一部請求の場合、権利者は権利の上に眠る者とはいえず、また、残部について権利者はいつでも請求を拡張でき、義務者もこれを予測しているから、全部について時効の中断を認めても何ら差支えないというべきである。

五  再抗弁

1 時効の中断

(一) 原告は、昭和六二年一一月一一日、本件事故による損害につき、自賠法一六条一項の被害者請求により自賠責保険から五二二万円の損害賠償額の支払を受けた。右支払は、被告らの原告に対する本件事故による損害賠償債務の弁済と同視できるから、右時点において被告らは債務の承認を行つたものである。

(二) 原告は、昭和六三年九月一二日、被告らに対して本件事故による損害賠償を求める本訴を提起した。

2 権利の濫用等

被告一也は平成元年一月二七日、本件事故による被告一也の損害につき、原告にその賠償を求める反訴を提起しているから、被告らの消滅時効の援用は禁反言であり、権利の濫用に当たる。

六  再抗弁に対する被告らの認否

再抗弁事実は、いずれも争う。

(反訴)

一  請求原因

1 交通事故の発生

本訴請求原因1のとおり。

2 責任原因

(一) 原告は、本件事故当時、原告車を所有し、自己のために運行の用に供していたから、本件事故による損害につき自賠法三条に基づく損害賠償責任を負う。

(二) 本訴抗弁1のとおり、本件事故は原告の過失により発生したものであるから、原告は、本件事故による損害につき民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負う。

3 被告一也の傷害、治療経過及び後遺障害

被告一也は、本件事故により頭部外傷Ⅱ型、頭蓋底出血疑、左上腕骨開放性骨折等の傷害を負い、いずれも宇治川病院に、昭和五九年八月二六日から昭和六一年四月二四日までの間に九一日間入院し、二一七日通院して治療を受けた結果、左上腕の六センチメートル短縮、左上肢筋萎縮の障害を後遺障害として残して症状が固定した。右後遺障害は、自賠責保険において、第一二級に該当する旨認定された。

4 被告一也の損害 九〇八万三七一〇円

(一) 後遺障害による逸失利益 八二八万三七一〇円

被告一也は、本件事故当時立命館大学経済学部の一回生であつたが、前記傷害のため一年間留年し、平成元年卒業予定であるが、本件事故による前記後遺障害により将来にわたりその労働能力の一四パーセントを喪失した。

したがつて、賃金センサス昭和六二年大学卒業二〇ないし二四歳の男子労働者の平均賃金を基礎として逸失利益の現在価格を算定すると、次の計算式のとおり八二八万三七一〇円となる。

(185,300×12+323,400)×0.14×23.231=8,283,710

(二) 後遺障害による慰謝料 二〇九万円

(三) 損害の填補 二〇九万円

被告一也は、本件事故による損害の填補として自賠責保険から二〇九万円の支払を受けた。

5 弁護士費用 八〇万円

被告一也は、本訴請求に対する応訴、反訴の提起、これらの追行を被告ら訴訟代理人弁護士に委任し、その報酬として請求金額の一割相当を下らない額を支払うことを約したから、その額は八〇万円である。

よつて、被告一也は、原告に対し、自賠法三条及び民法七〇九条に基づき、本件事故による損害賠償として九〇八万三七一〇円及びこれに対する本件事故の日である昭和五九年八月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1(交通事故の発生)の事実は認める。

2 同2(責任原因)の事実のうち、(一)(運行供用者責任)の事実は認めるが、(二) (不法行為責任)は否認する。

3 同3(被告一也の傷害、治療経過及び後遺障害)の事実は知らない。

4 同4(被告一也の損害)の事実のうち、(三)(損害の填補)は認めるが、その余は争う。

三  抗弁

(免責・過失相殺)

本訴請求原因2(一)のとおり、本件事故は被告一也の一方的過失により発生したものであり、原告に過失はなく、かつ、原告車に構造上の欠陥や機能上の障害はなかつた。

四 抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。

第三証拠

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一本訴請求について

一  請求原因1(交通事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。

二  本件事故の発生原因及び被告一也の責任原因について検討する。

1  いずれも成立に争いがない甲第八及び第九号証、原告(第一回)及び被告一也各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 本件道路の状況

本件道路は、ほぼ南北に延びるアスフアルト舗装がなされたカーブの連続する山間部の道路で、北から南の方向にかけて一〇〇分の四の上り勾配になつており、センターラインによつて南行車線(幅員二・八〇メートル、その外側には幅員〇・六〇メートルの路側帯をはさんで谷への転落防止のためのガードレールが設置されていた。)と北行車線(幅員二・七五メートル、その外側には幅員〇・九〇メートルの路側帯及び側溝をはさんでコンクリート壅壁が設けられていた。)とに通行区分されていたほか、公安委員会の指定により最高速度四〇キロメートル毎時、追越しのための右側部分はみ出し通行禁止の交通規制がなされていた。

本件道路は、本件事故現場から南方においては東方向に、北方においては西方向にそれぞれカーブしていた。

右のようなカーブ、勾配及びコンクリート壅壁等の存在により、北方又は南方から本件事故現場に接近する車両の運転者からの各対向車両に対する見通しは、両者が右カーブをほぼ通過するまでは必ずしも良好ではなかつた。本件事故現場及びその付近の状況は、別紙図面のとおりであつた。

本件事故当時は、晴天であり、本件事故現場付近の本件道路を通行する車両は原告車及び被告車のみであつた。

(二) 本件道路に残された本件事故の痕跡

本件道路には、本件事故により、別紙図面<サ>1地点から<サ>2地点(以下の文字又は番号による地点の表示も別紙図面中のそれを指すものとする。)にかけて同図面表示のとおり〇・六〇メートルにわたる銀色ようの鉄片の付着した擦過痕が、<サ>3地点から<サ>4地点にかけて同図面表示のとおり一三・八〇メートルにわたるゴム痕の混じつた擦過痕が、<サ>5地点から<サ>6地点にかけて同図面表示のとおり〇・四〇メートルにわたる擦過痕がそれぞれ路面に印象されていた。本件事故直後、被告車は<イ>地点に右を下にして北向きに倒れており、<ア>地点にはのり状の血痕が認められ、他方、原告車は<2>地点に進行方向に向つて放置されており、<1>地点には僅かな血痕が認められた。

(三) 原告車及び被告車等の破損状況

原告車は、本件事故により、左クラツチレバーが上方に曲損し、前照灯がはずれ、左サイドライトが後向きに反転し、前輪左フオーク先端部分に革製の破片が付着し、左エンジンカバー(フイートケース)が割損してその大半が失われ、右側エンジンカバー(銀色ようの金属製であつた。)の下部が割損し、右メーターにも擦過痕があり、左右ステツプ(先端部分は銀色ようの金属製であつた。)がいずれも折損するなどの損傷(大破)を受けた。

他方、被告車は、本件事故により、前輪左フオークが車軸部分から折損し、同右フオークが左後方に曲損しており、本来ハンドルに対して垂直であるべき前輪タイヤ部がかなり左方向に曲り、左エンジンカバーが割損し、同部の前にある左エンジンフレームも後方に曲損し、右ボデイーには全体に擦過痕があり、右ステツプ(少なくとも先端部分は銀色ようの金属製であつた。)が割損するなどの損傷(大破)を受けた。

加えて、被告一也が本件事故当時着用していた革製ブーツの左足側先端部の左側面部分は、本件事故により革が硬体と接触してえぐり取られていた。

2  事故態様及び衝突地点の認定

(一) まず、本件事故の態様を検討するに、前記認定のとおり、原告車においては、その右側部分には主に擦過痕が存し、その左側部分にはフイートケースの割損等の強度の衝撃を受けたことを窺わせる痕跡が認められること、他方、被告車においても右側部分の損傷は主に擦過痕であり、その左側部分には左エンジンフレームの曲損や左エンジンカバーの割損等の強度の衝撃を受けたことを窺わせる痕跡が認められること、原告車の前輪左フオーク先端部分に付着していた革製破片は被告の革製ブーツの左足側先端部左側面部分の損壊部分のものと認められること、その他、原告車の左クラツチレバー及び左サイドライトの損傷状態並びに被告車の前輪及び前輪フオークなどの損傷状態を総合考慮すると、本件事故は、原告車と被告車とが各々左側面を接触させる形で衝突し、その後、両車両とも各々右側面を下にする形で転倒したものと認められる。

(二) 次に、車両の衝突地点を検討する。

原告は、車両の衝突地点について<×>’地点であると主張し、その理由として、<サ>5ないし<サ>6の擦過痕は被告車によつて印象されたものであるが、<サ>1ないし<サ>2の擦過痕は原告車のエンジンカバー下部によつて印象され、<サ>3ないし<サ>4の擦過痕は原告車の右ハンドル先端部によつて印象されたものである旨主張する。

確かに、右(一)のとおり、被告車が倒れていた地点は<イ>地点であること、右擦過痕を印象する可能性のある部分として被告車の右ステツプ部分(少なくとも先端部分は銀色ようの金属製であつた。)があり、現に右ステツプ部分が折損していること等からすれば、<サ>5ないし<サ>6の擦過痕は、被告車によつて印象されたものと認められ、他方、右(一)のとおり、原告車が放置されていた地点が<1>地点であること、<サ>3ないし<サ>4の擦過痕は連続したものであること、右擦過痕はゴム痕が混じつたものであるが、右擦過痕を印象する可能性のある部分として原告車に右ステツプ部が存すること(原告本人尋問の結果《第一回》によれば、原告車のステツプ部分は鉄にゴムが被せてあつたことが認められる。)、そして現に右ステツプ部が折損していることから、<サ>3ないし<サ>4の擦過痕は、原告車によつて印象されたものと認められる。

しかし、<サ>1ないし<サ>2の擦過痕が原告車によつて印象されたと認めることは不自然というべきである。すなわち、<1><サ>1ないし<サ>2の擦過痕は、<サ>5ないし<サ>6の擦過痕とは連続性を認めても不自然ではないが、<サ>3ないし<サ>4の擦過痕とはその位置関係(角度・距離)からして連続性が認められず、同一車両によつて印象されたものとは考え難いこと、<2>原告主張のように<サ>1ないし<サ>2が原告車のエンジンカバー下部で、<サ>3ないし<サ>4が原告車のハンドル右先端部で、それぞれ印象されたとすることは、原告車により印象された<サ>3ないし<サ>4の擦過痕が途中までセンターラインと平行に印象されている事実に照らし、転倒後の原告車の動態を合理的に説明できないこと、<3>前記(一)のとおり原告車及び被告車は衝突後いずれも右側面を下にして転倒したものであるが、原告主張のように衝突地点を<×>’とすると、<サ>1ないし<サ>2と<サ>5ないし<サ>6とがもう少し東西方向に間隔が開いていないと不自然であること、<4><サ>1ないし<サ>2の擦過痕を印象し得る部分が被告車に存在し(右ステツプ部分)、現に同部分が折損していることなどからすれば、<サ>1ないし<サ>2の擦過痕は、むしろ被告車によつて印象されたものと認めるべきである。

以上を総合すれば、原告車と被告車との衝突地点は<サ>2と<サ>3の中間点である<×>地点付近と認められる。

ところで、原告本人は、原告主張事実に副う供述をしているが、右供述は、客観的証拠から認定し得る前記事実関係に符合しないこと、頭部外傷を負つて本件事故後の記憶を全く失つていたにもかかわらず事故後約二年を経過して事故時の記憶が蘇り、しかもその内容がその供述から明らかなとおり極めて詳細であること、後記のとおり過失割合をそれぞれ五〇パーセントとした物損に関する示談の経緯に関する原告の供述が不自然であること等の事情に照らし、にわかに信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  事故原因

(一) まず、被告一也の過失について検討する。

前記二で認定した事実によると、少なくとも、衝突直前において、原告車はセンターライン付近の北行車線を走行していたこと、他方、被告車はセンターラインを僅かに越えて対向車線である北行車線を走行していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、前記二1のとおり、本件道路は、本件事故現場から南方においては東方向に、北方においては西にそれぞれカーブしていた上、南から北にかけて一〇〇分の四の上り勾配になつており、右カーブ、勾配及びコンクリート壅壁等の存在により、北方又は南方から本件事故現場に接近する車両の運転者からのそれぞれの対向車両に対する見通しは、両者が右カーブをほぼ通過するまでは必ずしも良好ではなかつたのであるから、被告一也においては、前方を注視して対向車両の動向に注意するのはもちろん、ハンドル・ブレーキを適切に操作してセンターラインを越えないように走行すべき注意義務があつたにもかかわらず、右カーブに差しかかつた際、対向車両の動向を確認しないまま、漫然、センターラインを越えて対向車線(北行車線)上を走行した過失により本件事故を惹起したものである。したがつて、被告一也は、本件事故について民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負うべき立場にある。

(二) 次に、原告の過失について検討する。

本件道路はカーブの連続する山間部の道路であつたこと、走行時間帯が早朝六時ころであつたこと、本件事故現場付近を通行する車両もほとんどなかつた(現に原告車及び被告車以外に通行車両はなかつた。)状況であつたことなどの事情に鑑みれば、対向車両がセンターライン付近を走行しがちであり、センターライン付近での衝突の危険が容易に予測し得るところであるから、原告においても、前記カーブを曲るに際して、前方を注視して対向車両の動向に注意するのはもちろん、左寄りを通行して対向車両との接触の危険を回避すべき注意義務があつたものというべきである。しかるに、原告があえてセンターライン直近の位置を走行し、回避動作をとつた形跡もないことなどからすると、原告にも、本件事故の発生の原因となる過失が認められるというべきである。

ところで、被告らは、本件事故の発生原因につき、「被告車が衝突時においてセンターラインを越えていたとしても、それは、原告車がまずセンターラインを越えて被告車の進路である南行車線内に進入してきたことから、衝突回避のために被告一也が右に転把したことによるものである。」旨主張し、被告一也本人も右主張に副う供述をする。しかしながら、右供述は、本件事故当時の記憶を失つている被告一也本人の憶測にすぎず、これを裏付ける的確な証拠はないから、右供述及び主張はにわかに採用できないといわざるを得ない。

(三) 過失割合

以上の認定事実を総合すれば、被告一也の過失は、原告の過失に比して格段に大きく、その割合は、原告の一〇パーセント、被告一也の九〇パーセントと認めるのが相当である。

三  次に、被告哲也の責任原因について検討する。

1  原本の存在及び成立に争いがない乙第二号証、被告一也及び哲也の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告車は被告一也が本件事故以前に自らアルバイトをして買つたバイクの事故賠償金で購入したものであることが認められるから、被告車は本件事故当時被告一也の所有に属していたものと認められる。

2  しかしながら、自賠法三条にいう運行供用者には、自動車の所有者でなくても、自動車の運行を事実上支配管理することができ、社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないよう監視監督すべき立場にある者も含まれると解するのが相当であるところ、原本の存在及び成立に争いがない乙第二号証、被告一也及び哲也の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、なるほど被告車の強制保険の付保及び自動車税の納付に関しては被告一也がその名義・計算で行つており、被告車は、被告一也が専らレジヤーに使用し、そのガソリン代も被告一也が自己のアルバイト収入で賄つていたものではあるが、被告車に関する任意保険の保険契約者は被告哲也であること、その保険料は被告哲也が自らの給料から納付していること、被告一也は被告哲也の子であり、本件事故当時未成年者であつたこと、被告一也は、被告哲也と同居し、その扶養を受けていたこと、被告車は被告哲也の家を保管場所としていたことが認められ、これらの事実によれば、親である被告哲也との共同生活及びその経済的援助がなければ、被告一也が被告車を管理・維持することが困難である上、被告哲也は自ら任意保険に加入して被告車の運行による交通事故発生の場合の損害賠償に備える意思を有していたと推認できるから、被告哲也は、被告車に対する資金の援助者及び運行に伴う危険の分担者として被告車の運行を事実上監視監督すべき立場にあつたと認められる。

そうすると、被告哲也は、被告車の運行供用者と認めるのが相当であるから、自賠法三条に基づく損害賠償責任を負うべき立場にある。

四  原告の傷害、治療経過及び後遺障害について検討する。

いずれも成立に争いのない甲第二、第四ないし第六、第一一ないし第二四、第二六、第二八ないし第三〇及び第三二号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二五号証、証人西島直城の証言、原告本人尋問の結果(第一及び第二回)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  原告((昭和四一年四月一四日生)は、本件事故により、頸椎捻挫、左腕神経叢損傷(上位型)、頭部外傷Ⅱ型並びに右前腕、左大腿及び下腿打撲擦過傷の傷害を負い、その治療のため昭和五九年八月二六日から同年九月一日までの七日間宇治川病院に入院した。

2  原告は、更に前記傷害の治療のため滋賀県立成人病センターに、昭和五九年一二月七日(初診日)から昭和六一年一二月三一日(症状固定日)まで入・通院した(通院実日数は一九日である。)。入院等における治療状況は左記のとおりあつた。

原告は、

(一) 昭和五九年一二月一三日から翌六〇年三月一六日までの九四日間入院し、その間、まず、昭和六〇年一月三一日に腕神経叢損傷による神経の損傷状態を把握するための手術である診断的検索術を受け、右検索の結果、原告の第五ないし第七頸神経根に節前損傷(根引き抜き損傷)が認められ、殊に第六及び第七頸神経根は全部脊髄から引き抜かれた状態であつた。しかし、第五頸神経根においては、ほとんど引き抜かれた状態であつたものの、一部に節後損傷(断裂状態)の可能性が見出された。そこで、同年二月七日に第五頸神経の神経再建術(下脚神経を移植する。)を受けた。

(二) 昭和六一年二月一七日から同年三月二六日までの三八日間入院した。肘の屈曲機能の回復が目的で、スタインドラ法(円回内筋総屈筋起始部を骨片を付けたまま中枢側に移動させて上腕骨に固定する方法。)を施術された。

(三) 昭和六一年六月二日から同年一〇月四日までの一二五日間入院した。広背筋は僅かに利くものの、大胸筋、三角筋等はほとんど麻痺している状態であり、このまま放置しておくと肩の脱臼が進行するばかりであると認められたことから、肩関節機能再建術(左肩外転屈曲機能再建術、僧帽筋を上腕骨へ移行させる。)を施術された。

3  後遺障害

原告の傷害は昭和六一年一二月三一日に症状固定した。後遺障害として、腕神経叢損傷に関しては、<1>左肩関節は、自動で屈曲三〇度(一八〇度、括弧内は健側《右側》を表す。以下同様である。)、伸展二〇度(六〇度)、外転二〇度(一八〇度)、内転二〇度(六〇度)、外旋不能(九〇度)、内旋六〇度(九〇度)までの可動が可能であるが、大胸筋等の筋肉が麻痺している。また、僧帽筋で肩を吊り上げている状態であるから筋力が弱く、抵抗に抗しての運動は困難さを伴うが、安定性は得られており、<2>左肘に関しては、前腕の屈筋群を上腕に移行させたため左肘は屈曲可能であるが、左上腕二頭筋が麻痺しているため重力に抗する運動には不向きであり、<3>左前腕は、自動での回外(肘を躯幹につけ手の平を顔の方向に向ける運動をいい、〇度から九〇度が正常範囲である。)は不能で、他動での回内位(手の平を下に向けた状態。)から回外位への運動も拘縮が強く感じられる状態であり、<4>左腕上部に知覚障害を覚えるものである。

また、原告には、左肩(七、一二及び七センチメートル)及び頸部(六センチメートル)の醜状瘢痕が存する。

五  そこで、原告の損害について検討する。

1  入院雑費 二六万四〇〇〇円

右四の1及び2で認定したとおり、原告は宇治川病院に七日間入院し、滋賀県立成人病センターに通算二五七日間入院していたところ、一日当たりの入院雑費は一〇〇〇円が相当であるから、二六四日間の入院雑費として二六万四〇〇〇円を認めることができる。

2  通院交通費 二万九六四〇円

前記四の1及び2で認定したとおり、原告は昭和五九年一二月七日から昭和六一年一二月三一日までの間に滋賀県立成人病センターに通算一九日通院したところ、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三八号証によれば、原告の肩書住所地所在の自宅から滋賀県立成人病センター(滋賀県守山市守山町三二八番の一所在)までの交通費が片道七八〇円(JR線木幡駅から守山駅まで六七〇円、守山駅から右センターまで近江鉄道バスで一一〇円)であつたことが認められる。したがつて、一九日の通院交通費は二万九六四〇円である。

3  休業損害 二五万五五〇〇円

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三七号証、原告本人尋問(第二回)の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故当時、新聞配達のアルバイトを行つていたこと、右アルバイトによる収入は一月当たり三万六五〇〇円はあつたこと、原告は当時高校三年生であつたが既に同志社大学への入学が決定していたことなどの事実が認められ、これらの事実からすると、原告は右アルバイトを少なくとも高校卒業時までは継続して行うであろう蓋然性が窺えるから、右四の認定事実をも併せ考えると、昭和五九年九月から翌年三月までの七か月間の休業損害を認めるのが相当である。そうすると、右期間の休業損害は、次の計算式のとおり二五万五五〇〇円である。

36,500×7=255,500

4  留年による逸失利益 五五九万四四〇〇円

原告本人尋問の結果(第一及び第二回)及び弁論の全趣旨によると、原告は昭和六〇年四月に同志社大学へ入学し、二年間の留年の後、平成三年三月に同大学を卒業したことが認められる。ところで、原告は、右在学期間中、前記四に認定のとおり、昭和六一年二月一七日から三月二六日までの三八日間及び同年六月二日から一〇月四日までの一二五日間、いずれも滋賀県立成人病センターに入院していたが、右合計一六三日の入院日数及び原告の傷害の部位及び程度など諸般の事情に鑑みれば、原告は、本件事故により前記二年間の留年を余儀なくされたと認めるのが相当である。

そうすると、原告は、本件事故がなければ平成元年には卒業して就労し得た筈であるのに、右留年により、その二年分の収入を失つたものと認められる。そして、その間の逸失利益は、賃金センサス平成元年第一巻第一表、産業計、企業規模計、旧制大学・新制大学卒業の二〇ないし二四歳男子労働者の平均年収額二七九万七二〇〇円を採用して算定するのが相当であるから、右金額を基礎として休業損害の額を算定すると、五五九万四四〇〇円である。

5  後遺障害による逸失利益 八二〇万七〇一六円

原告には、右四で認定したとおり、左肩関節、左肘及び左前腕の機能障害などの後遺障害が見受けられる。そこで、原告が後遺障害によつて将来にわたり労働能力をいかなる程度喪失したかを検討する。

いずれも成立に争いがない甲第三二ないし第三五号証、第三六号証の一及び二、証人西島直城の証言、原告本人尋問の結果(第一及び第二回)並びに弁論の全趣旨によると、原告は平成三年四月から株式会社CSKのシステムエンジニアリング事業部にコンピユーターのプログラマーとして就職したこと、初任給は、一月一六万八五〇〇円、ボーナスは半期に三・三倍以上であること、キーボード操作に際しては、入力スピードが遅く、誤入力がままあるものの、システム設計自体に支障が生じるものではないこと、給与面における待遇に関しても同期の他の社員と比べて現在遜色がないことなどの事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、原告の供述中には、左腕神経叢損傷の後遺障害につき、コンピユーターのキーボードを左手で叩けない等左手による労働があたかも不能であるかのように述べる部分があり、また、証人西島直城の証言においても、原告の左肩の用廃、左肘の用廃あるいは著しい機能障害と認めるべきである旨を述べる部分があるが、前掲各証拠によると原告は症状固定前の昭和六一年一一月一〇日に自動車運転免許を取得していること、右免許証取得に当たつてはフロアーシフトを左手によつて操作する手技(ギア・チエンジ)が要求されたこと、免許証には運転の条件として眼鏡又はコンタクトレンズの使用が義務付けられているものの、左腕の運動障害に関しては何等運転に際しての条件を付されていないこと、原告は本件事故後入学した同志社大学の工学部機械工学第二学科を平成三年三月には卒業していること、その他前認定の稼働状況からすれば、原告及び証人西島の右供述部分はにわかに採用できないものと言うべきである。

しかしながら、原告は、右後遺障害にもかかわらず、現在は勤務先から給与面において特に不利益な扱いを受けていないけれども、その後遺障害の部位及び程度に鑑みると、原告が将来右後遺障害によつて給与面において不利益を受ける可能性が十分にあり、受傷後の原告の稼働・生活状況など諸般の事情をも併せ考慮すれば、右後遺障害により就労可能な六七歳まで二〇パーセントの割合で労働能力を喪失したとみるのが相当である。

以上により、本件事故時における原告(当時一八歳)の後遺障害による逸失利益の現在価額は、前記初任時の年間給与額三一三万四一〇〇円(一六万八五〇〇円×一八・六か月)を基礎とした上、労働能力喪失割合を二〇パーセント、就労可能年数を二四歳から六七歳までの四三年間として、年五分の割合によりライプニツツ方式で中間利息を控除すると、次の計算式のとおり、八二〇万七〇一六円(一円未満切捨て)となる。

3,134,100×0.2×(18.1687-5.0756)=8,207,016

6  慰謝料 八〇〇万円

本件事故の態様及び程度、傷害の内容及び程度、入通院の期間、後遺障害の内容及び程度その他本件審理に顕れた一切の事情を考慮すると、右事故による慰謝料としては、八〇〇万円(傷害の分として二〇〇万円、後遺障害の分として六〇〇万円)を認めるのが相当である。

7  車両関係の損害 〇円

成立に争いのない甲第三、第四及び第八号証並びに乙第三号証、原告(第一及び第二回)及び被告ら各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、昭和六〇年八月二六日に原告と被告らとの間で本件事故による物的損害(車両関係の損害)に関して、過失割合をそれぞれ五〇パーセントとし、被告らが原告に一七万九〇〇〇円を支払う旨の示談が成立したこと、右示談交渉に当たつたのは、いずれも事故当事者の法定代理人である原告の母親と被告哲也であつたこと、原告及び被告一也とも物的損害に関しては特に感心を示していなかつたこと、右示談当時、本件事故の原因ははつきりしていない状況であつたこと、人身損害が控除されていること、物的損害の額自体は予想される人身損害の額に比べれば遥かに少額であつたことなどの事実からすると、原告及び被告らとも、物的損害に関しては、早期にかつ簡便に解決することを望み、事故状況の詳細が判明していないことを承知の上で示談したものと推認できる。

そうすると、右物損の示談に関して原告主張の錯誤が存したとは認めることはできず、車両関係の損害に関する原告の主張は理由がない。

六  過失相殺

本件事故による原告の損害の合計額は二二三五万〇五五六円となるところ、前記二3に認定判断したところに従い、一〇パーセントの過失相殺を行うと、右過失相殺後の損害額は二〇一一万五五〇〇円(一円未満切捨て)となる。

七  損益相殺

原告が損害の填補として自賠責保険から五二二万円の支払を受けたことは当事者間に争いがないので、前記過失相殺後の損害額から右既払金五二二万円を控除すると一四八九万五五〇〇円となる。

八  更に、消滅時効の抗弁について検討する。

1  まず、消滅時効の起算日に関し、民法七二四条にいう「損害を知りたる時」とは、傷害が治癒する見通しがたつか、またはその症状が固定し、残存する症状を後遺障害として把握し得るに至つた時と解するのが相当である。

本件においては、前記甲第二及び第六号証、証人西島直城の証言、原告本人尋問の結果(第一及び第二回)並びに弁論の全趣旨によれば、原告の本件傷害の症状が固定した日は昭和六一年一二月三一日であつたこと、同日、医師によりその旨の診断がなされた上、診断書が発行されたことが認められるから、原告は、その日に後遺障害を知るに至つたと推認できる。したがつて、原告の損害賠償請求権の消滅時効の起算日は右症状固定の日の翌日である昭和六二年一月一日となる

2  ところで、右消滅時効の起算日である昭和六二年一月一日から三年以内である昭和六三年九月一二日に本訴(一部請求として五五〇〇万円及びこれに対する昭和五九年八月二六日から支払済みまでの民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める訴え)が提起されていることは当裁判所に顕著な事実であるから、右訴えの提起により原告の損害賠償請求権(少なくとも右一部請求にかかる範囲内)の消滅時効の進行が中断されたことが認められる。

そして、原告の損害賠償請求権として認容しうる額は後記弁護士費用の点を考慮に入れても当初の一部請求の範囲内であることが明らかであるから、被告らの消滅時効の抗弁(二)(請求拡張部分の時効消滅)を判断するまでもなく、被告らの消滅時効の抗弁は理由がない。

九  弁護士費用 一〇〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告が原告訴訟代理人に本訴の提起及び追行を委任し、その報酬として認容額の一割を支払う旨約したことが認められるところ、本件の内容、認容額、訴訟の経過等に鑑みると、本件事故と相当因果関係にある損害として被告らにおいて負担すべき弁護士費用の額は、一〇〇万円を認めるのが相当である。

一〇  以上の次第で、原告の本訴請求は、一五八九万五五〇〇円及びこれに対する昭和五九年八月二六日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金(なお、原告は商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を請求するが、本件では右利率を採用すべき理由はない。)を求める限度で理由がある。

第二反訴請求について

一  反訴請求原因1(交通事故の発生)は当事者間に争いがない。

二  同2(責任原因)の事実のうち、(一)(運行供用者責任)の事実は当事者間に争いがない。

三  同3(被告一也の傷害、治療経過及び後遺障害)の事実について検討する。

成立に争いのない乙第一号証、被告一也本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、被告一也(昭和四〇年一一月一六日生)は、本件事故によつて、左上腕開放性骨折、左橈骨神経断絶、頭部外傷Ⅱ型及び顔面打撲挫傷の傷害を負つたこと、右傷害の治療のため、いずれも宇治川病院に、昭和五九年八月二六日から昭和六一年四月二四日までの間に、九一日間入院し、二一七日通院して治療を受けた結果、同日、左上腕の六センチメートルの短縮及び左上肢にかかる末梢神経障害(筋萎縮及び筋力低下を含む。)を後遺障害として残して症状が固定したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

四  そこで、同4(被告一也の損害)について判断する。

1  後遺障害による逸失利益 三八七万一一二八円

被告一也本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告一也は、前記三に認定したとおりの後遺障害を有するにもかかわらず、平成元年三月、立命館大学経済学部を卒業し、翌月、京都ダイハツ工業株式会社に事務系として採用されたこと、右会社において事務関係や営業の仕事をする分には右後遺障害は大して支障とはならないこと、現在、同期入社社員と比べて給与及び待遇面で不利益を受けていないことが認められる。

しかしながら、後遺障害の部位及び程度に鑑みると将来において経済的に不利益を受ける可能性が十分にあることが認められ、その他被告一也の受傷後の稼働・生活状況など諸般の事情に鑑みれば、被告一也の将来にわたる労働能力の喪失割合は一〇パーセントと認めるのが相当である。

そして、被告一也(本件事故当時一八歳)の後遺障害による逸失利益は、賃金センサス平成元年第一巻第一表、産業計、企業規模計、旧制大学・新制大学卒業の二〇ないし二四歳男子労働者の平均年収額二七九万七二〇〇円を採用した上、労働能力の喪失割合を一〇パーセント、就労可能年数を二三歳から六七歳までの四四年間として、年五分の割合によりライプニツツ方式で中間利息を控除すると、次の計算式のとおり、三八七万一一二八円(一円未満切捨て)。

2,797,200×0.1×(18.1687-4.3294)=3,871,128

2  後遺障害による慰謝料 一八〇万円

本件事故の態様及び程度、後遺障害の内容及び程度その他本件審理に現れた一切の事情を考慮すると、本件事故による慰謝料としては、一八〇万円を認めるのが相当である。

五  過失相殺

前記第二の二認定のとおり、被告一也には本件事故につき九〇パーセントの過失があると認められるので、被告一也の前記損害額合計五六七万一一二八円から九〇パーセントを控除すると、その残額は五六万七一一二円(一円未満切捨て)となる。

六  損益相殺 二〇九万円

被告一也が本件事故による損害の填補として自賠責保険から二〇九万円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。

ところで、本件事故における被告一也の損害は前記のとおり五六万七一一二円であるから、右損害は既に全て填補されていることが明らかである。そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被告一也の反訴請求は理由がない。

第三結語

以上の次第で、原告の本訴請求は、被告ら各自に対し、一五八九万五五〇〇円及びこれに対する本件事故の日である昭和五九年八月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右限度でこれを認容し、その余はいずれも理由がないから棄却することとし、また、被告一也の反訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 小北陽三 鍬田則仁 大野康裕)

別紙

<省略>

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